
朽ちのこる春の色とや山陰の 青葉に沈む花のうもれ木
バッタかキリギリスかわかんねーから、コマケーコトキニスンナ
水に雲 空に早苗と 浮かびけり
水に雲 浮かびて白く 早苗月
んん~と、2008spring? spring hunt? 一部の人間(σ(゚∀゚ オレ!! )の大量投稿のせいで、
中の人に華麗にスルーされたね(・∀・)ウヒョヒョ・・・・orz
何かとても迫力のある物を見せてください。

足が悪いのか
寝ながら吠えてた
写真と俳句は良く似ている。写生と言う意味で。
抒情は蛇足。
抒情を表すには和歌。
「心」または「情」、自らの思いを優しく美しく抒べることこそが和歌か。
しかし、そうも簡単ではないようだ。
平安時代後期、古典和歌の完成期になると、「こころ」は自ら発しはするものの、
少し離れた所で別の新しい世界を作りあげることになる。
「情意」から「景」への転換。
「夕されば」:「夕暮れ時になると」の意。 季節は秋、涙と露、一人寂しく男の訪問をむなしく待つ女の姿が、当時の人には自動的に思い浮かぶような初句。
「秋風」:秋の風は寒く悲しいだけでなく、当時の人には「倦き」「飽き」を連想させる。
既に先行している和歌が数多くこの時点であり、上の句だけですでに抒情は終わっている感がある。
本当に問題になるのは、下の句、「鶉」と「深草の里」。
この和歌には前提があり、『古今集』『伊勢物語』にみえる在原業平と深草の女の贈答を理解していないといけない。
深草の里に住みはべりて、京へもうでくとて そこなりける人によみておくりける (業平の臣)
返し よみ人知らず
鶉と女は一体なのである。しかしそれはあくまで前提。
なにやら俳句へとつながっていく流れが見えてくるようだし、
驚くべき事に風景写真の話みたいに聞こえるではないか。
「和歌とか俳句とか、ただの語呂合わせ。つまんねー、そんなもん詩ぃかいなっ」と思っていたころもあったが、なかなか面白い。
確かにただの語呂合わせ、なんの景もないなーということはあるが・・・しかし。
かたい話ばかりだとつまらないので実例。
芭蕉もすごいが、(当たり前だけど)一茶はやはりスゴイ。
現代俳句はとくに経験したり見たり聞いたりした事がないと、意味が分からない事が多くなじめない要因になっているが、
これは『風景』がボーンと極彩色で見える。(オレだけか?)
たぶん春先の農繁期、田んぼの用水路か畦に山吹が生えて咲いている。当然山吹だから水の気配が多い。
田んぼにも水が入っている。で、そこに牛をひかせて田んぼの荒がきでもやっているのだろう。
お尻にまとわりつく蝿を尻尾で叩いている姿まで見えてくるようだ。
キ○タ○を持ってくるところがスゴイ。
これで、お日様がナルトマークの例のアレで、お空でくるくる回っているような雰囲気さえかもし出す。牧歌的。
写真でもここまでナカナカできんぜぇ。
まあ、そういうわけで、あくまで「ふぉとぽえむ」ではなく「俳景」です。
「景」が見えなきゃ、イヤよ♡
季語とか形式とかそういうのは別にどうでもいいとして。
(管理人より)
しかし、まあ、なんだ・・・カメラのせいで和歌にまで関心を持つはめになるとは思わなんだ・・・









